年間第14主日 2023年7月9日

 マタイによる福音(マタイ11章25-30節)
そのとき、イエスはこう言われた。 「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。 これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、 幼子のような者にお示しになりました。 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 すべてのことは、父からわたしに任せられています。 父のほかに子を知る者はなく、 子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。 休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。 そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」




今週のメッセージ
石川地区 窄口 松雄 神父
 
 「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」この御言葉は、葬儀のとき、イエスの御心の祭日、黙想の時、あるいは掲示板などを通して、出会い、知り尽くしている。

 1日の寝る前の祈りにもあり「おやすみなさい」と祈って寝る。だから、私は雑音を入れたくないと思いつつも、「休ませてあげよう」という約束は安らぎと喜びをもたらす。

 ペトロの手紙に「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」と信仰の実り、洗礼を生きることが語られる。キリストを見ていないのに幼児にも洗礼を授けた神秘。成人洗礼も幼児洗礼も平和を与えると第1朗読でも神の約束がある。私たちが存在する前から神からの約束によって、安息日を得たのです。

 今日の福音の冒頭に「そのとき」とあります。前文脈に「カファルナウム、お前は、天にまであげられるとでも思っているのか。陰府まで落とされるのだ。」とイエスが叱ります。

このカファルナウムは地中海より210メートル低い、小さな平原の肥沃の土地のようです。カファルナウムは叱られ、貧しい小作人たちは招かれているでしょう。それは私たちです。牛やロバの軛は見えるが、キリストの軛は目には見えない絆です。外なるものは叱られ、内なるものは「わたしの軛を負いなさい。」と言われるのです。ペトロの手紙では「キリストに従順な子となりなさい。」「生活のすべての面で聖なるものとなりなさい。」「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。」と信仰の光を求めるのです。外なる肉の殻を心に留めないように歩むのです。

 また、ここで雑音をいれます。いまの若い世代は、軛や鋤を知らないでしょう。私の子どもの頃は、牛に軛をかけ、鋤を引かせて畑の畝をつくり、畝に芋や麦などを植えるのです。段々畑の奥は、人が2人くらいで引くこともあった。力が必要です。牛は力強い。牛もエネルギーを蓄え、軛をかけられ歩き始める。鋤をかけてから後ろを振り向くものは、わたしにふさわしくない。」

 鋤は「静」。学びなさいは「動」かもしれません。神の愛は、いつも働いているのです。だから、父なる神へと向かうのです。カファルナウム(肉の思い)へと引き込まれてはならない。神の霊が、あなたがたの内に宿っている(第2朗読)ことを心に留め、キリストの招きに応えるならば、キリストは安らぎを約束されるのです。父なる神は「天地の作られる前からキリストのうちに、わたしたちを選び、キリストによって、ご自分の子にするのです。」子を見るならば安らぎがあるのです。

 今日の福音の文脈の後に、キリストは「人の子は安息日の主である」と宣言されます。弟子たちが空腹だったとき、麦の穂を摘んで食べたときでした。私たちも荒れ地の乾き果てた土のような心でしょう。キリストはご聖体のうちに現存し、何度も、何度も来てくださるのです。

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