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9月, 2023の投稿を表示しています

年間第26主日 2023年10月1日

  マタイによる福音(マタイ21章28-32節) 〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕 「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」 今週のメッセージ 北陸ブロック富山地区 金 一神父 「人間は考える葦である。」と言った哲学者ブレーズ・パスカルは「この世には二つの種類の人間がいる。一つは自ら自分が罪人だと思う義人、他には自分が義人だと思う罪人である。」と言いました。   今日の福音に出るたとえ話は、お父さんが息子たちに声をかけることから始まります。まず、そのお父さんは二人の息子を自分のところに呼び寄せるのではなく、直接に彼らのところに行って声をかけました。そして、その時、お父さんはそっけなくて厳しい声で息子たちを呼ぶのではなく、「子よ」とやさしくて思いやりのある声で彼らを呼びました。「今日、ぶどう園へ行って働きなさい。」と。お父さんは、指示はしましたが、強制はしませんでした。お父さんは息子たちが自発的に答える自由をあげました。兄は答えました。「いやです。」そして、弟は「行きます。」と答えだけして行きませんでした。   今日の福音に出るこのたとえ話の中のお父さんと息子たちの関係は、言い換えると、わたしたち自身と神様との関係だとも言えるんでしょう。この二人の息子たちがしたように、わたしたちも「はい。」と答えた後「いいえ。」と行動したり、「いいえ。」と言った後「はい。」とする行動をしたりします。神様はわたしたちをいつもあなたへの道にお呼びになりますが、不完全なわたしたちは、たまには正しい答えで、たまには間違った答えで答えます。   しかし、神様はわたしたちが罪人にもかかわらずわたした

年間第25主日 2023年9月24日

  マタイによる福音(マタイ20章1-16節) 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」 今週のメッセージ 鳴海教会 シュエ・ルイ・ジュン 神父 神は慈しみ深く、愛と忍耐をもっておられます。 私は今年名古屋教区に派遣されました。一番印象深い経験は炊き出しです。毎週木曜日にホームレスの方に食事を配ります。ボランテイアとして参加しました。食事を配る前に、ホームレスの方は整理券を持って順番に食べ物を受け取ります。150人ぐらい並ぶそうです、皆さんは本当に協力的で最後まで文句を言う人がいませんでし

年間第24主日 2023年9月17日

  マタイによる福音(マタイ18章21-35節) そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」 今週のメッセージ 名古屋教区助祭  眞 野 和 夫 今日お聴きした福音は、マタイ福音書の「『仲間を赦さない家来』のたとえ」と、題が付けられた箇所でした。私たちは日々の生活のうちに、これまで幾度となく他の人から赦され、自分も他の人を赦しながら生きてきたはずです。そこでは、事の次第や赦す側と赦される側との関係など色々なことが伴うのですが、例えば、家族とか親しい人との間に生じた些細な過ちとか諍いなら簡単に赦すことも、赦されることもあるでしょう。そこには、肉親への愛、親しい人との友誼的な気持ちが働き、寛大になれるからです。それだけではありません。日々の生活において色々なところで、同僚や見知

年間第23主日 2023年9月10日

  マタイによる福音(マタイ18章15-20節) 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕  兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。  はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。 今週のメッセージ 南山教会  伴 八郎 神父 今日の福音の最後に「二人または三人がわたしの名によつて集まるところには、わたしもその中にいる」というイエス様の言葉があります。   この「ニ人または三人」というところに注目したいと思います。自分一人だけではダメなのです。少なくても二人以上でなければいけないのです。 祈りについても 19 節のところで、「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、天の父がそれをかなえてくださる」と言われ、やはり自分一人だけではなく、複数の人が心を合わせて祈る祈りが、神さまに聞き入れられると教えられています "   人間は皆 ' 、一人ひとり、他人とは違った個性をもった個人個人です。しかしまた、人間はー人だけでは生きていけない社会的な生きものです。人と人との関わりの中でしか生きていけません。人間関係がうまくいつているとき、人はうれしいし、明るく生きていけます,しかし、人は人間関係でつまずき、悩み、疲れてしまいます。   今日の第二朗読でパウロは、「人を愛する者は、律法を全うしている」と言っています。聖書の中には十戒を始めとしてたくざんの掟があります。 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」などなど。しかし、どんな掟があっても、 - 隣人を自分のように愛しなさい」という一つの掟に