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待降節第1主日 2023年12月3日

  マルコによる福音( マルコ13 章33-37節) 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」 今週のメッセージ 一宮教会 太田 実  神父 教会のカレンダーは待降節第一主日から始まります。待降節はまさに来たろうとする方を待つ季節です。教会の聖書朗読配分はあらかじめ決められていますが、神のみ言葉は、今、ここに生きるわたしたちに語られているのですから、そのつど、その響き方は異なります。    ロシアによるウクライナ侵攻、聖地における戦闘の応酬の中で、多くの子どもたちが殺されたり、飢えや渇きに苦しむ様子が毎日報道されています。    第一朗読は、「主よ、あなたはわたしたちの父です。『わたしたちの贖い主』これは永遠の昔からあなたのみ名です。」という言葉で始まります。「わたしたち」はアブラハムを信仰の父とするユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒を指していると思います。 もし、今のイスラエル政府が、イエス時代のイスラエル国をパレスチナに樹立することを目指しているとすれば、聖地は終わりのない戦いの場と化すのではないかと危惧されます。    マルコ福音書 13 章は「小黙示録」と言われます。  エルサレム神殿の崩壊を予告した後、イエスは弟子たちの求めに応じて、終末のしるしについて語ります。   「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。」というイエスの言葉は、今の聖地のありさまを映し出しているようにも思います。 「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、

王であるキリスト 2023年11月26日

  マタイによる福音(マタイ25章31-46節)  〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』  そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」 今週のメッセージ 日比野教会 志村  武 神父 王であるキリスト、神の支配、神の国が完成する時。私たちは王であるキリストのお祝い、神の国の完成に向けて、今の信仰の歩みを歩んでいます。それは、完全には見えないながらも、神の働きを日々の出来事を通して秘跡的

年間第33主日 2023年11月19日

 マタイによる福音(マタイ25章14-30節) 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人にはニタラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、ニタラントン預かった者も、ほかにニタラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、ニタラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、ニタラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかにニタラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。れでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 今週のメッセージ 石川地区 片岡 義博 

年間第32主日 2023年11月12日

  マタイによる福音(マタイ25章1-13節) 〔そのとき、イエスは言われた。〕 「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」 今週のメッセージ 東海・長浦 教会  ファルディマール・バカリサ・ファミニアラガオ  神父 初期の教会活動の中では、キリスト者たちは、生きている間にイエスの再臨がくると信じていましたが、福音書がまとめられる頃には、イエスの再臨はすぐには起こらないだろうと信じるようになりました。それはつまり、いつ世の終わりがくるのかとばかり考えるとき、準備することについての忠告をおろそかにしてよいということになるのでしょうか。しかし、確実なことは、私たちの地上での終わりの時はかならず来るということです。考えないようにすることもありますが、終わりはいつ、どこででも起こることを、私たちはよく知っています。 今日の福音は、この現実と私たちを向き合わせてくれます。ここで私たちに問いかけます、「準備はできていますか」。そして、ふたつめの問いを考えさせます、「どうすれば準備ができますか」。そう問いかけられた今、イエスの上に私たちの道をおきましょう、私たちの真理にイエスを、私たちの命をイエスにおき、イエ