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12月, 2023の投稿を表示しています

主の公現 2024年1月7日

  マルコ による福音(マタイ2章1-12節) イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。 今週のメッセージ 岡崎教会  モルク・フランシスクス・ アシジ神父 預言者イザヤは主の公現の主日に当たって「起きよ、光を放て」と述べ伝えました。イエス。キリストは御言葉が人となられわたしたちの間に住まわれ、また、光の子としてこの世にお生まれになりました。“言葉のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった”「ヨハネ1:4-5」洗礼を受けた私たちは光である主イエスを証しすることによって主イエスをまだ知らないが主イエスを信じるように招かれています。なぜなら、主イエスは「あなたがたは世の光である」と言われたのです。イエス。キリストは光として人々を救うためにこの世にお生まれになりました。洗礼を受けたキリスト者は人間を照らす光であるイエスを良い知らせとして人々に述べ伝えるように招

神の母聖マリア 2024年1月1日

  ルカによる福音書2・16-21 急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。 今週のメッセージ 春日井教会 北向  修一神父 マリア様を私たちカトリック信者は私たちのお母さんと呼び、世代を超えて敬愛しています。そんなマリア様ですが、私たち以外の多くの人たちともつながりがあります。最近のことで言えば、教会に来た人たちはまず教会前にあるマリア像を見て頭を下げたり、お祈りする人が沢山います。この前は教会を消防点検に来た方が、このマリア様をとても気に入っているとお話になりました。また写真を撮っても良いかと尋ねられた方もいらっしゃいました。幼稚園の園児たちはいつも通り過ぎるときに見上げているのは日常のことです。私たちのマリア様はそんなに高級なものではないはずですが、マリア様そのものが皆好きなのでしょう。マリア様の存在はおそらく教会外でもいい影響を与えているであろうことを、私たちは知っています。母なるマリアは、私たちに安心感を与え、平和の気持ちを思い出させて下さいます。世の中の人びとが、いかに安心や平和を求めているかうかがい知ることが出来ます。    福音では天使によって告げられた喜びの知らせをうけた羊飼いたちが幼子を捜し当て、天使が語ったことを告げ、マリアはそのことを心に納め思い巡らしていたと言います。この時、マリア様は何を思っておられたのでしょうか。興味は尽きませんが、少なくとも自分に与えられた我が子について時間をかけてお思い下さったことは確かです。    私たちはキリストの購いによって神の子とならせて頂きました。購い主の母であるマリア様は神の子である私たち一人一人に思いを巡らせ、想いを心に納めて下さいます。神の母聖マリアの祭日に当たり、神の子である私たちが同じくマリア様を慕うこどもたちと共に、新年を神様が祝福して下

待降節第4主日 2023年12月24日

ルカ1・26-38   〔そのとき、〕天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。 今週のメッセージ 福井教会 ポノンバン・フレデリック・フリッツ 神父 十二月になるとわたしはいつも子供のころのことを思い出します。その時、待降節は喜びであふれるタイム、 瞬間 ( しゅんかん ) になりました。家族全員で仕事を分かち合います。子供たちは掃除すること、お父さんは馬小屋を作り、お母 さんはいろいろなおいしいものを作ることになっていました。心の準備をしながら、自分自身の仕事を終わりまで喜びの内にやりました。すでにクリスマスの前からわたしたちはその降誕祭の喜びを味わうことができました。ですから、神様が喜びをもって来られることを知るだけではなく、それを感じて大切な経験になりました。  今日の福音の中で主の天使が聖ヨセフの夢に現れて二つの神様の命令を伝えました。 「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」 と 「マリアが産む子をイエスと名付けなさい」 。聖ヨセフはその二つの命令通りにしました。マリアを迎え入れて、マリアが 産 ( う ) む子を

主の降誕 2023年12月25日

  ルカ による福音(ルカ2章1-14節) そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」 今週のメッセージ 高蔵寺教会 椎尾 匡文 神父 主の降誕の夜半のミサには、毎年、ルカ福音書の降誕の箇所が読まれます。ルカはイエスの誕生を、第一朗読で読まれたイザヤの預言の成就として描いています。 「闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。 あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり 人々は御前に喜び祝った。」(イザヤ9:1-2)  野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしました( v.8-9 )。そして、天使は言いますー「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」( v.10 )と。  救い主が生まれたという大きな喜びの知らせ(福音)は、まず最初に、救い主の生まれた場所から離れたところにいた羊飼いたちに告げられました。羊飼いという職業は、当時のユダヤにおいては社会的に差別されていた職業の一つでした。羊飼いは聖書的な意味での

待降節第3主日 2023年12月17日

  ヨハネによる福音書1・6-8,19-28   神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。 今週のメッセージ ロゴスセンター 暮林 響神父 待降節第三主日には、入祭唱(フィリピ 4 章 4 - 5 節)でも、集会祈願でも、第一朗読(イザヤ 61 章 1 - 11 )、答唱詩編(典礼聖歌 179 番)、第二朗読( I テサロニケ 5 章 16 - 24 )でも、繰り返し力強く響いている言葉があります。それは「喜び」です。  そもそも、この待降節第三主日の典礼の第一声が入祭唱の「 Gaudete in Domino Semper (喜べ、主において、いつも)」という音から始まるため、この日が「 Gaudete の主日」つまり、「喜びの主日」と言われていることは、割と多くの信者さんに周知されるようになってきたと思われます(まぁ、個人的には「喜べ!の主日」と言いたいところで

待降節第2主日 2023年12月10日

  マルコによる福音( マルコ1 章1-8節) 神の子イエス・キリストの福音の初め。 預言者イザヤの書にこう書いてある。 「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、 あなたの道を準備させよう。 荒れ野で叫ぶ者の声がする。 『主の道を整え、 その道筋をまっすぐにせよ。』」 そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」 今週のメッセージ 富山地区 小川 満  神父 いよいよ、教会の新しい典礼歴が始まりました。 2024 年度の典礼歴は、 2023 年度の待降節から始まります。最近、とくに感ずるのですが、この典礼歴は本当によく考えられており、よくできていると思います。一年を通じて三位一体の創造主である御父がご計画なさり、御子キリストが私たちのために見えるものになさり、今も、聖霊が教会を通して実現なされている、私たちの救いのご計画が、実によく顕われていると感じられるからです。毎年待降節の主日の福音には、やがてお生まれになるキリストの姿は顕われていませんが、先駆者である洗礼者ヨハネが主の道を整えるために準備している姿や、その両親ザカリアとエリザベト、神の子を宿されるマリアへのお告げなどが提示され、神の愛の結晶である救い主の現われが近いことなどなどが知らされます。 典礼歴 B 年の主日の福音はマルコを中心に進められますが、マルコの福音は短く、簡潔なので、ときには他の福音箇所を挿入しています。ですから 今年の待降節第一主日は、 2023 年度の、愛の王様としてのキリストの現われである最後の審判に続いた『常に準備していなさい』との注意喚起に続いてのたとえ話が紹介されています。この救いの歴史を具現化している教会の典礼歴を生きる私たちキリスト者は、常に神のみ旨を生きなければならないのだと思います。 2024 年も常に三位一体の神とともに活きましょう。