年間第26主日 2023年10月1日

 マタイによる福音(マタイ21章28-32節)

〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕 「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

今週のメッセージ

北陸ブロック富山地区 金 一神父

「人間は考える葦である。」と言った哲学者ブレーズ・パスカルは「この世には二つの種類の人間がいる。一つは自ら自分が罪人だと思う義人、他には自分が義人だと思う罪人である。」と言いました。

 今日の福音に出るたとえ話は、お父さんが息子たちに声をかけることから始まります。まず、そのお父さんは二人の息子を自分のところに呼び寄せるのではなく、直接に彼らのところに行って声をかけました。そして、その時、お父さんはそっけなくて厳しい声で息子たちを呼ぶのではなく、「子よ」とやさしくて思いやりのある声で彼らを呼びました。「今日、ぶどう園へ行って働きなさい。」と。お父さんは、指示はしましたが、強制はしませんでした。お父さんは息子たちが自発的に答える自由をあげました。兄は答えました。「いやです。」そして、弟は「行きます。」と答えだけして行きませんでした。

 今日の福音に出るこのたとえ話の中のお父さんと息子たちの関係は、言い換えると、わたしたち自身と神様との関係だとも言えるんでしょう。この二人の息子たちがしたように、わたしたちも「はい。」と答えた後「いいえ。」と行動したり、「いいえ。」と言った後「はい。」とする行動をしたりします。神様はわたしたちをいつもあなたへの道にお呼びになりますが、不完全なわたしたちは、たまには正しい答えで、たまには間違った答えで答えます。

 しかし、神様はわたしたちが罪人にもかかわらずわたしたちを愛するだけではなく、むしろわたしたちが罪人だからわたしたちをより愛してくださいます。それで、わたしたちは絶えず、神様のお声に耳を傾けてよく答えなくではいけません。そして、した答えに対しては、行動で動かなくではいけません。今日の弟のようにからっぽの答え、からっぽの約束、うその誓いにならないため。。。

 

「正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。」  

(第一朗読エゼキエルの書より)


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