キリストの聖体 2023年6月11日

 ヨハネによる福音書(ヨハネ6・51-58)

わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」


今週のメッセージ
春日井教会 北向 修一神父

 私たちは毎週ミサの中でご聖体を受けることができます。中世では一般人はなかなか御聖体を受けることは難しい時代もありました。大変有難い時代でもあります。今後は司祭の高齢化などにより、毎週のミサが難しくなる可能性が出てくるところもあるかもしれません。そういう意味でも今後はより一回一回のミサを大切にしたいものですね。
 さて、当教会でも子供たちが初聖体を受けたのですが、その時の感想が信徒の皆さんの印象に残ったようです。御多分に漏れず我が教会も外国籍の家庭が増え、子供達の多くはその子たちで占められるようになりました。初聖体といえば、大体ご聖体の味はどうだったか、またはよく分からないという感想が一般的でそういう答えが来るだろうなぁ~と皆が思っていました。ところが二人の小学生は大人よりも立派な返答をしました。「イエス様が私の中に入って働いてくださる気がした。これからは教会の一員として立派になるように頑張ります」という答えに皆、心を打たれ感じ入っているようでした。洗礼や初聖体や結婚などの秘跡の機会が減っていく中でも、秘跡や恵みに対して真摯な態度を感じるといっそう秘跡は大切であることを実感します。
 第1朗読では40年間さまよい苦しむ民にマナが、大きな支えとなったことが書かれています。食料という生命線となり、皆で同じものを食べる一致のしるしとなりました。
 第2朗読でもパンは一つなのだからそれを割く私たちも同様に一つの体、一つの心であることを記します。ミサの奉献文でも~となりますようにと私たちは祈ります。
 福音では世を生かすパンであること、人の子の肉を食べその血を飲む者の内に命があること。その命に預かったものはイエスの内にあり、永遠に共に生きるといつも主が私たちといらっしゃり、働いておられることを述べています。
 様々な意見があり、多様化してゆく世界の中でも、本質的なところでは一致するように願いたいものです。一致する心を形にし、世を生かすために役立てることができる教会になることができますように祈ってまいりましょう。

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