復活節第6主日 2023年5月14日

ヨハネによる福音(ヨハネ14章14-21節)
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」



今週のメッセージ
城北橋教会 レイ・ティボン神父

 ご存知のとおりイエスが愛について語るときロマンチックな愛のことを指しているのではありません。 イエスが話している愛とは感情ではなく、イエスに従う決心と言うことなのです。「あなたがたは、私を愛しているならば、私の掟を守る」とイエスは今日の福音書で仰ってくださっています。
 もし私たちが誰かを愛しているならば、その人のためだったら何でもやってあげると思っています。例えば、父親は家族を愛しているからこそ、家族のために良い収入を得るために一日に何時間も働こうとしています。また、母親も家族を愛しているからこそ、家族のために早起きし、夜遅くまで眠ることです。
 神様に対して、私たちはどのように愛を示せば良いのでしょうか。 私たちは、神様の掟に従うことで、神様への愛を表しています。 それでご存じのとおり、神様の掟は、二つの掟で纏めています。それは、神様を愛することと、隣人を自分のように愛することです。 イエスはこの二つの掟について非常に明確にしています。 隣人を愛せなければ、神様への愛を語ることはできません。 隣人に慈悲を示せなければ、神様に慈悲を求めることはできません。
 イエスへの愛を示すために私たちが行うすべての決断と行動には、「この決断と行動は、神への愛を反映しているのでしょうか。この決断と行動には、私の隣人への愛を示すものなのでしょうか?」と言う問いに答える必要があります。
 イエスの掟には、2つの見方があります。 片方では、掟を重荷や自由を制限するものとして見ることができます。 一方では、神様の掟を私たちの人生の指針として見ることもできます。
  例えば、「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」という掟があります。復讐ができるまで赦すことなどあってはならない、と思う人も沢山いると思います。しかし、恨みを抱くことは、自分自身を傷つけるだけです。 そのうち自分が孤立を感じるし、不安や抑うつを経験し、ストレスのレベルを上げることさえがあります。 また、復讐をすることで暴力がエスカレートすることも忘れてはなりません。
 一方、自分を傷つけた人を許すと、心も体の平和を手には入れます。相手を許してあげるという行為は、心臓発作のリスクを下げ、コレステロール値を改善し、睡眠を改善することが研究で分かっています。 結局、人を許してあげることは自分にとって良いことなのです。
 それで、あなたは、イエスの掟を守る理由は何でしょうか?


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